マシジミとガシャモク

マシジミとガシャモクを手賀沼に復活させよう

秋岡先生のこと

秋岡先生に木で遊ぶことを学びました。
本もいっぱい出版されていて、知っている人も多いかと思いますが、秋岡先生の記事を載せているブログから無断でコピーさせて貰いました。

暮らしの中のデザイン 秋岡先生のこと⑥

東日新聞 0721くらし カルチャー

暮らしの中のデザイン 秋岡先生のこと⑥

グラフィックデザイナー 三宅 亨

秋岡芳夫先生を指して「木工dezainnの殉教者」
と呼んだのは誰だったろう。高度成長のさなか、
産業dezainnのトップランナーとしてめざましい成果を
あげていた秋岡先生が、機械によるデザインから人間の手による
デザインへ商売替えすると宣言されたのは、同業の人びとに
大きなショックを与えた。

「日本の産業界にとって大きな損失」とまで言って
引き留めようとした人もいたほどだ。秋岡先生自身は
「なに『48歳の抵抗』ですよ」と軽く言われていたが、
内心ではずいぶん深く考えられることがあったのではないかと思う。

「国にお願いしたい。国土をたたき売りするのはやめてほしい…」
秋岡先生が講演で言われた言葉だ。当時は地方振興のためとして、
国有林がどんどん地方自治体に払い下げられていた。
家具や建材に使えそうな広葉樹の巨木が惜しげもなく切り倒され、
チップに砕かれて、パルプ産業に売られていった。

「もったいないことをしないで、役立たずといわれる造成林の
落葉樹を使ったらいいじゃないかと言ったんですが、
値段の点で駄目だと言うんです」

造成林の木は植林だ、下草刈りだ、間伐だと手間賃がかかっている。
自然のまま育った原生林材は人件費がタダ同然だから安いのだ。

「せめて原生林を払い下げる値段を、ちょっぴりでよいから
造成林材よりも高くなるようにしてほしい。木を生かすために…」

だが訴えは国に届かなかった。わずかな間に木は切り尽くされ、
売り上げはコンクリート造りの村役場や公民館の公共工事による
バブル景気に消え、資源となるはずだった造成林は輸入材との競争に負け
維持費用さえままならず、荒れ果てた自然だけが残った。

脆弱(ぜいじゃく)になった自然はちょっとした気候の変動で
地滑りや洪水を引き起こす。手入れされない樹林は花粉症の原因となり、
年々被害は拡大しているようだ。

ほんのわずかな自治体だけが秋岡先生の提案に基づき、
手工業により地場産業を興し、木材資源の濫費(らんぴ)を防いだ。
バブルがはじけたなかで、これらの小さな村や町がマイペースで
自分たちの生活を守っている姿が私にはとても印象的だった。
秋岡先生の最晩年の講演での、先生の遺言のような言葉が、
深く心に残っている。

「木を死なせてはなりません。日本は木の国、
木で覆われた山によって成り立つ国です。
木が死ぬとき、日本は死にます」